職業としての政治
マックス・ヴェーバー、職業としての政治、岩波文庫、1980年(原著は1919年)
この本は政治のあるべき姿ではなく、現実の政治の本質について語ったものである。同書は学生向けの講演を活字にしたもので、目次はない。まずは全体を要約する。
政治とは何か。政治とは、「国家の指導、またはその指導に影響を与えようとする行為」(8頁)である。「国家とは、ある一定の領域の内部で正当な物理的暴力行使の独占を(実効的に)要求する人間共同体である」(9頁)。だから、政治とは、「権力の分け前にあずかり、権力の配分関係に影響を及ぼそうとする努力である、といってよいであろう」(10頁)。
国家は、「正当な(正当なものとみなされている、という意味だが)暴力行使という手段に支えられた、人間の人間に対する支配関係である。だから、国家が存続するためには、被治者がその時の支配者の主張する権威に服従することが必要である。では、被治者は、どんな場合にどんな理由で服従するのか。この支配はどのような内的な正当化の根拠と外的な手段とに支えられているのか」(10−11頁)。
まず、支配の内的な正当化、つまり正当性の根拠については次の3つがある。第一に、「永遠の過去」がもっている権威。「ある習俗がはるか遠い昔から通用しており、しかもこれを守り続けようとする態度が習慣的にとられることによって、神聖化された場合」(11頁)にこの権威が生じる。この権威に基づいて行う支配を「伝統的支配」という。
第二に、「ある個人にそなわった非日常的な天与の資質(カリスマ)がもっている権威。「その個人の啓示や英雄的行為その他の指導者的資質に対する、まったく人格的な帰依と信頼」(11頁)からこの権威が生じる。この権威に基づいて行う支配を「カリスマ的支配」という。
第三に、「合法性」という権威。「制定法規の妥当性に対する信念と、合理的に作られた規則に依拠した客観的な『権限』」(11頁)からこの権威が生じる。この権威に基づいて行う支配を「合法的支配」という。
次に、支配を支える外的な手段は、人的な行政スタッフと物的な行政手段(貨幣・建物・武器・車両など)である。そして、支配者は物質的な報酬と社会的な名誉という手段によって行政スタッフを服従させる。
それでは政治を職業とする者、つまり政治家にはどのような資質が必要とされるか。それは情熱と責任感と判断力である。ここでいう情熱とは取り組むべき事柄および仕事への情熱、判断力とは「精神を集中して冷静さを失わず、現実をあるがままに受けとめる能力」(78頁)である。そして、政治家のもつべき責任感とは予見しうる結果に対する責任を引き受ける心情である。政治における決定的手段が暴力である以上、政治家が自分の行為の結果に対して負う責任は重大なものだ。
(紹介者コメント)
この本には善い目的を達成するためには道徳的にいかがわしい手段を用いなければならないというところなど、善い意図からは善い結果が生じるはずだと思い込んでいるような人からは反感をもたれるような記述もある。だが、政治を理解するには子どものように単純で純粋な態度であってはならず、成熟した大人の精神が必要なのだと思う。
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この本は政治のあるべき姿ではなく、現実の政治の本質について語ったものである。同書は学生向けの講演を活字にしたもので、目次はない。まずは全体を要約する。
政治とは何か。政治とは、「国家の指導、またはその指導に影響を与えようとする行為」(8頁)である。「国家とは、ある一定の領域の内部で正当な物理的暴力行使の独占を(実効的に)要求する人間共同体である」(9頁)。だから、政治とは、「権力の分け前にあずかり、権力の配分関係に影響を及ぼそうとする努力である、といってよいであろう」(10頁)。
国家は、「正当な(正当なものとみなされている、という意味だが)暴力行使という手段に支えられた、人間の人間に対する支配関係である。だから、国家が存続するためには、被治者がその時の支配者の主張する権威に服従することが必要である。では、被治者は、どんな場合にどんな理由で服従するのか。この支配はどのような内的な正当化の根拠と外的な手段とに支えられているのか」(10−11頁)。
まず、支配の内的な正当化、つまり正当性の根拠については次の3つがある。第一に、「永遠の過去」がもっている権威。「ある習俗がはるか遠い昔から通用しており、しかもこれを守り続けようとする態度が習慣的にとられることによって、神聖化された場合」(11頁)にこの権威が生じる。この権威に基づいて行う支配を「伝統的支配」という。
第二に、「ある個人にそなわった非日常的な天与の資質(カリスマ)がもっている権威。「その個人の啓示や英雄的行為その他の指導者的資質に対する、まったく人格的な帰依と信頼」(11頁)からこの権威が生じる。この権威に基づいて行う支配を「カリスマ的支配」という。
第三に、「合法性」という権威。「制定法規の妥当性に対する信念と、合理的に作られた規則に依拠した客観的な『権限』」(11頁)からこの権威が生じる。この権威に基づいて行う支配を「合法的支配」という。
次に、支配を支える外的な手段は、人的な行政スタッフと物的な行政手段(貨幣・建物・武器・車両など)である。そして、支配者は物質的な報酬と社会的な名誉という手段によって行政スタッフを服従させる。
それでは政治を職業とする者、つまり政治家にはどのような資質が必要とされるか。それは情熱と責任感と判断力である。ここでいう情熱とは取り組むべき事柄および仕事への情熱、判断力とは「精神を集中して冷静さを失わず、現実をあるがままに受けとめる能力」(78頁)である。そして、政治家のもつべき責任感とは予見しうる結果に対する責任を引き受ける心情である。政治における決定的手段が暴力である以上、政治家が自分の行為の結果に対して負う責任は重大なものだ。
(紹介者コメント)
この本には善い目的を達成するためには道徳的にいかがわしい手段を用いなければならないというところなど、善い意図からは善い結果が生じるはずだと思い込んでいるような人からは反感をもたれるような記述もある。だが、政治を理解するには子どものように単純で純粋な態度であってはならず、成熟した大人の精神が必要なのだと思う。
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